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子どもに『自己責任』を押しつける、司法

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2011年6月、福島県郡山市の小中学校7校に通う子どもたち14人が集まり、同市に対し年間1ミリシーベルト以下の環境で学習するための「集団疎開」を求めた裁判がありました。1審却下のあと、10名が仙台高裁に即時抗告しましたが、今年4月、仙台高裁はふたたび申立てを却下しました。

  

この子どもたちは、裁判の始まった時は郡山市内に住んでいました。しかし、裁判所の判断は時間がかかり「これ以上、高線量下の郡山市で生活できない」と1人、また1人と郡山市内から離れていきました。子どもたちは、仲のいい友だちみんなと一緒に集団疎開できることを願っていましたが、親たちが説得し、迷い、悩み、苦しみ抜いたすえに自主避難したのです。

  

もちろん避難した子どもは、郡山市が児童生徒を疎開させ、安全に学習できる場が用意されたら、またみんなと一緒に勉強するつもりでした。そのため、避難先はあくまで仮住まいです。ところが裁判所は、郡山市に残る1人の子どもだけを、"当事者"とみなし、他の子どもたちは、「移住で市内不在なので非保全権利を有しない」として、子どもたちに『線引き』をしたのです。

  

仙台高裁は、「郡山市の子どもは低線量被ばくで、生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される」と放射性物質の晩発性障害のリスクを初めて認め、集団疎開を「抜本的方策」と述べています。ところが、子どもたちの訴えは却下しました。この矛盾した判断の隙間に見えるのは『自己責任論』でしょうか。

  

友を失い、そして残った友だちのことを心配しながら、慣れない地でようやくのこと学びの場を得るのは、子どもの自己責任でしょうか。責任は子どもには、けっしてありません。

 

 

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< 解説 >

子どもに、『自己責任論』を押し付けた

福島県、郡山市の小中学校7校に通う子どもたち14人が集まり、同市に対し、年間被ばく線量が1ミリ以下の場所での教育を求めて、福島地裁に仮処分申請しました。福島原発事故からまもない2011年6月のことです。ところが、裁判所は「100ミリシーベルト未満の晩発性障害は、発生確率について裏付けがない」とし、同年12月にこれを却下しました。

 

しかし、この判断を不服とした10人は、仙台高裁に即時抗告しましました。ところが今年4月24日、高裁はふたたび子どもたちの求めを斥け、却下を決定したのです。ただし、抗告人側の証拠と主張のいくつかは認められ、以下はその理由の要点です。

 

【評価すべき裁判所の判断】

(1)郡山市の子どもは低線量被ばくにより、生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される。

 

(2)除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得えられていない。

 

(3)被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない。

 

(4)「集団疎開」が子どもたちの被ばくの危険を回避する1つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢である。

 

このように仙台高裁は、放射性物質の晩発性障害のリスクを初めて認めました。その意味は大きいとされており、今回の判決で新たな分岐点を迎えたことは間違いありません。

 

しかし、このようにリスクを認め、集団疎開を「抜本的方策」としたのにも関わらず、「ただちに危険があるとまで認め得る証拠もない」として、最終的な判断は抗告却下でした。このひどく矛盾した議論は、まるで「危ないけれど、そう思うなら自分で逃げろ」と解釈できます。そして司法から『自己責任論』を押し付けられたのは、なんの罪もない子どもたちなのです。

 

「いま、フクシマの子どもたちにおそいかかっている前代未聞の人権侵害以上に、深刻な人権侵害は存在しない」世界に知られる思想家の ノーム・チョムスキーは語ります。

 
 
 

< 参考資料 >

・    子どもの安全な場所での教育を求める

「ふくしま集団疎開裁判」ブログ

http://fukusima-sokai.blogspot.jp/

 

・即時抗告申立書(2011年12月27日 仙台高裁提出文書)

 http://fukusima-sokai.blogspot.jp/search?updated-min=2011-01-01T00%3A00%3A00%2B09%3A00&updated-max=2012-01-01T00%3A00%3A00%2B09%3A00&max-results=50

 

・仙台高等裁判所による判決文(PDF)

http://www.ourplanet-tv.org/files/20130424sokai.pdf

 

・【徹底分析】仙台高裁判決~ふくしま集団疎開裁判 OurPlanet-TV

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1580

 

原告のお母さんは、どのような犠牲を払って避難したのか(直筆書面)

http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2013/01/blog-post_25.html

 

 

 

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死のシルクロードからの、風 

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〜シリーズ『風と放射能』①

 

過ぎ去りし20世紀、世界中が取り憑(つ)かれたように核実験を行いました。半世紀の間に行われたその数は2379回、その内大気圏内実験は502回でした。

 

1963年、「大気圏内、宇宙および水中」での核実験を中止する条約が米ソ英で調印されましたが、フランスと中国はこれを拒否しました。そして、中国はソ連からの技術供与によって、1960年代初頭に核兵器開発が進められました。

 

1964年10月16日、中国政府は、ウイグルの人々が暮らす居住区近く、シルクロードの要所、ロプノール湖にて、初の核実験を行いました。その後1964年から1996年まで、46回、22メガトンの核爆発実験を非公開に強行し、それは広島核の1375発分に相当します(札幌医科大学教授、高田純理学博士の調査による)。

 

また高田教授によれば、中国の核実験は核防護策もずさんで、被災したウイグル人への医療ケアも施されませんでした。少なくとも19万人以上が急性死亡、129万人以上が深刻な影響を受けたと指摘しています。日本では、石川県保健環境センターの調査(2010年3月)で、黄砂由来のセシウム137が0.46ベクレル/㎡の記録があり、「直接健康に影響を 与える可能性は極めて小さい」とされています。

 

実験場の周辺には、NHKのドキュメンタリーで名を馳せた、シルクロードの敦煌、桜蘭、ウルムチ、トルファンなど、美しい砂漠の町々が、まるで何事もなかったかのように時を刻んでいます。

 

中国政府の公式発表は一切ありません。すべて、放射能は闇の中です。しかし、その灰は今も偏西風に乗り、21世紀の日本に飛来しているのです、20世紀の「闇」が。

 

 

 

No.13017
 
 
 

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環境省:「黄砂の発生源地域」 http://www.env.go.jp/air/dss/kousa_what/kousa_what.html

 

石川県:「金沢市太陽が丘における放射性降下物の年間変動について」

http://www.pref.ishikawa.lg.jp/search/result.html?q=%E9%BB%84%E7%A0%82%E3%80%80%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD&cx=013090918390897489992%3Axcsb1hsaoy4&ie=UTF-8&cof=FORID%3A9&sa.x=0&sa.y=0

 

【参考文献】「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」 札幌医科大学 理学博士 高田純著 /(株)医療科学社

 

 

 

 

解説

BBC「死のシルクロード」(Death on the Silk Road)

 中国政府は「核爆弾はシルクロードの町に何ら放射能汚染もたらさず、地元住民には何も害はなかった」としています。

  

20世紀末の1998年、イギリスBBCは観光客をよそおい(2名の医師も同行)、危険と隣り合わせの6週間の調査をなしとげ、機密文書を入手し、これを国外へ持ち出します。作成されたドキュメンタリー「死のシルクロード」(Death on the Silk Road)は、隠蔽された核実験の『闇』に迫り、世界83ヶ国で放送されました。

  

中国の核実験による死の灰は、遠く離れたイギリスでも、もちろん近隣諸国や日本でもすでに検出されていました。ところが、現地の科学者は口を合わせたように、問題がないことを繰り返すばかりでした。やがて、取材班の身を挺(てい)した粘り強い調査は、身も凍るような機密に到達するのです。

  

ある極秘資料は、癌の治療施設の増設を必死に嘆願する内容で、「医療体制は逼迫(ひっぱく)しており一刻の猶予もない」と書かれていました。あるデータでは、実験場付近のシルクロードの町の癌は、他の中国の地域に比べて急激に増加して、1990年までに、中国全土の平均発生率より30%も高くなっていることを示していました。実験地帯付近最大の都市であるウルムチでは、「癌による死亡者数は、2000年には1993年の2倍になる」と予測されていました。

  

現地の医師たちは、統計を得られない、はがゆい状況の中、目の前で起こっていることが、すべて放射線の影響であることを確信して語ります。「若年層の癌が増加している」「見る限り白血病の患者が増えており、治療費が高くて払えないことがわかると、確定診断がついても、多くの患者が病院には来なくなり、家でそのまま死ぬ」と。汚染された土地で食物を育て、そこで流れる水を飲み、その上を流れる空気を吸わなくてはならない。それでも、彼らは「死のシルクロード」で生きなければならないのです。

  

BBC取材班は番組の最後に、こう結んでいます。「"観光旅行"が終われば、私たちはこの地を去ることができても、新疆ウイグルの数百万の人々にはその選択肢がないがない。」

  

この優れた番組は、フリーの映像ジャーナリストに与えられる、世界で最も名誉ある賞「ローリーペック賞」を受賞しました。ところが、日本では放送されていません。その理由もまた、『闇』の中です。

  

死のシルクロード (画像)

http://www.youtube.com/watch?v=2lG9JfUVN5I

http://www.youtube.com/watch?v=EFTbRJOJe_A

http://www.youtube.com/watch?v=tpt5DJDsWdA

 

 

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「これは神様だ」と思い、その場でお祈りをした羊飼い

 シルクロードが舞台の小説に憧れ、またNHKが1980年に取材したドキュメンタリーの浪漫(ロマン)に触発されて、実に27万人の日本人が楼蘭や敦煌を訪れました。シルクロード全体が、かつての核実験場だったという事実を知っている人は、当時は誰もいなかったにちがいありません。1996年まで、その事実は報じられませんでした。そして、私自身が、ほかならぬ、その無防備な旅人の一人でした。1987年、何も知らず憧れの彼の地を訪れました。

  

在英ウイグル人で医師のアニワル・トフティーさんと話した、あるゴビ砂漠で暮らす羊飼いの男性は、太陽をも上回る明るさの光を見て、そのとき彼は直感的に「これは神様だ」と思い、その場でお祈りをしたそうです。彼が見たのは、間違いなく核爆発だったに違いありません。

  

何も知らぬ生活者たちは、「闇」が「闇」であることも知らず、無防備に、その尊い命を危険にさらしているのです。ノーベル平和賞候補のラビア・カーディル女史は、漏洩した中共の機密文書から、現地のウイグル人らが75万人死亡し、被害者たちが医療保障もなく、放置されている、と訴えています。

  

砂漠にふき渡る、あの鳴くような乾いた風の音、果てしない砂の大地、鳴沙山(めいさざん)、底抜けに蒼い空、冷たい天山山脈の雪解け水、たわわに実った葡萄、パオに生活する、黒い髪の毛に蒼い目の人々、そのすべてが、今もよみがえります。

  

かつて栄華を誇り、今は時の砂漠に埋もれた王国。無限の宇宙の中にあるこの地球という惑星の片隅で、莫高窟の壁一面の宗教画が、人類のおろかしい営みの数々を、ただ静かに、悠久の時のまなざしで微笑んでいます。

 

 

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女性たちへ

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原子力の黎明期1960年代初頭、アメリカはこの新しいテクノロジーに夢中でした。しかし、繰り返される核実験で目に見えない放射性物質が、しだいに身体におよぼす危険な影響がわかってきて、反核ムーヴメントが他ならぬアメリカで起こります。

 

じつは、世界最初の被ばく国は、日本ではなく米国だったのです。

 

子どもたちの命と未来のために、最初は中産階級の既婚女性たちが立ち上がり、女性から、女性へ、しだいに運動が拡大します。全米60都市、5万人が参加するデモが組織され、ついに1961年11月11日 「平和のための女性のストライキ」(Woman Strikes for Peace=WSP)が始まり、その後1972年頃まで女性の願いを世界にしめします。

 

ある日のホワイトハウス抗議行動、ひとりの女性が雨の中立ち尽くしている自分の行動を、こんな風に感じていました。

 

「ほんとに馬鹿みたいだし、なんてくだらないことをしているのか」

 

何年もたって、彼女は知るのです。雨にぬれた彼女らの姿を見て、その信念に心打たれたひとりの人物がいたことを。後に反核の中心的活動家となるベンジャミン・スポック博士(日本では育児書を記した小児科医として有名)にとって、女性たちのひたむきな姿がターニング・ポイントとなったのです。

 

そして1963年6月、ケネディー大統領は、アメリカン大学の卒業式で、ソ連、イギリスと核実験禁止条約について話し合うことを明らかにしました。その演説から一ヶ月後に条約は結ばれることになったのです。

 

お母さんたちの愛が、あの国を動かしたのです。

 

 

 

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(解説)

勝利、科学、豊かなアメリカと原子力 ―希望と自信にみちた1950年代

1882年アメリカのニューヨーク、人類初の発電所がエジソンによって建設されました。それまで『電気』は夢の魔法に過ぎなかったのが、夜道の街頭は燦々と照らされ、ロウソクやランタンで、ほの暗い灯りを囲む家庭の団らんには、新たなまぶしい光がもたらされました。

  

電気の登場で、技術・産業・経済、そして私たちの生活もすっかり様変わりし、人類は決して戻ることのできない、甘い誘惑のドアを開けてしまったのです。人は貪欲により多くの電気を求め、大量の石炭や石油を手にいれて火力発電を行い、困難をきわめる巨大ダム建設に挑み、水力発電を行いました。

  

エジソンから72年後の1951年、アメリカで人類初の原子力発電に成功します。広島に原爆が投下され、アメリカが勝利した6年後のことです『原子力』という、アメリカを勝利に導いた「未来的な魔法」が登場し、"Future"、"Science" という言葉は、"Atomic" とともに特別な輝きを持ち始めます。戦争での勝利、自由、戦後の豊かさ、そして燦然と輝く未来。アメリカがもっとも高揚したこの時代、その雲一つなく晴れわたる視界の向こうに、原子力があったのです。

  

戦争をくぐり抜けた若い世代は、田舎の両親と離れた都会の新しい産業に組み込まれ、安定した雇用と所得の拡大を手にします。ダウンタウンで恋に落ち、大型のクルマでドライブ、そして郊外の一戸建てに家庭を持つことが、一番おしゃれなトレンド、手に入れるべき "Future" となるのです。

  

家電の発明と普及は、核家族化の進んだ家庭を助けます。掃除機、洗濯機、冷蔵庫は、女性を「家事」から解放し、社会進出を大きく後押ししました。ラジオやテレビは、マス・コミュニケーションの発達を促し、レコードなどの新たな娯楽が普及し、エルビス・プレスリーなどのミュージシャンが登場します。また、ハリウッド映画の黄金期と呼ばれるのもこの時代で、長編の大作映画が次々に製作されました。

  

原子力発電は1970年代から本格的に電力に加算されるのですが、この時代は原子力による電気は "Future"、"Science" という「希望」の記号として役目を果たしていました。1951年からネバダ砂漠では、膨大な核実験が行われていました。放射性降下物の測定や建物・動物などへの影響を調べるため、人形を配置した核実験もあります。そして、豊かな都市生活を過ごす人々には、その原子雲は、明るく、美しく、輝いて見えていたのです。

  

当時、米国のメディアは「核実験が健康に害を及ぼす心配はありません」と報道していました。しかし、実験は必ず風向きを確認した上で、風は必ず西から東へと流れているときに実施されました。実験場の西側にある大都市を守るためです。

  

大都市で豊かな生活を謳歌していた人々は、そのことを知る由もありません。

 

 

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ジョン・F・ケネディー大統領と放射能

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祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません

あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい

  

アメリカ合衆国第35代大統領 J・F・ケネディーの就任演説の有名な言葉です。彼は、国民全員が「アクティブ・シティズン」である必要を、力強く語りました。そして、子どもの幸せと未来のために、放射能や核に反対するアメリカの母親たちのつよい気持ちは、国民の自立を訴えたケネディーその人の心に、しっかりと届き、アメリカという巨大な船の舵の方向性に影響を与えました。

  

ケネディーは1963年6月10日に、アメリカン大学の卒業式において『平和のための戦略 (The Strategy of Peace) 』という演説を行ないます。

  

「骨がガンになり、血液が白血病にかかり、肺ガンになる、そういう子どもたちや孫たちの数は、統計的には、自然におこる健康障害とくらべて少ないように見えるかもしれません。しかし、これは、自然の健康障害ではないし、統計学の問題でもありません。たった一人の子どもの命が失われることであっても、あるいは、私たちがこの世を去ったあとに生まれる、たった一人の子どもの先天性異常であろうとも、それは、私たち全員が、胸を痛めるべきことなのです。私たちの子どもたち、孫たちは、私たちには関心がうすい単なる統計的な数字の問題ではありません。」

  

大統領の演説は、ノーカットでソ連の新聞やラジオで伝えられ、1963年7月25日米英ソの間で、部分的核実験禁止条約 (PTBT) が締結されました。

 

そして、この感動的な演説の5ヶ月後の1963年11月22日。ケネディーは、テキサス州ダラスで、謎の暗殺によって、その46歳の生涯を閉じます。在任期間は、わずか2年10ヶ月。悲劇の大統領として、その名を後世に残したのです。

 

 

・ J・F・ケネディー大統領演説 映像と原文はこちらから(約26分の演説。上記の抜粋部分は12分40秒〜)。 

 1963年6月10日アメリカン大学の卒業式にて。

『平和のための戦略 (The Strategy of Peace ) 』

Address to the Nation on the Nuclear Test Ban Treaty, 26 July 1963

 

http://www.jfklibrary.org/Asset-Viewer/ZNOo49DpRUa-kMetjWmSyg.aspx

 

 

 

【その他参考文献】

The Best of Tomdispatch: Rebecca Solnit

Posted by Rebecca Solnit at 10:12am, June 14, 2005.
Follow TomDispatch on Twitter @TomDispatch.

http://www.tomdispatch.com/blog/3273/the_best_of_tomdispatch%3A_rebecca_solnit

 

・「レベッカ・ソルニット、希望を語る」(日本語訳サイト)

http://besobernow.blogspot.jp/2012/04/blog-post_09.html

 

Rebecca Solnit, Three Who Made a Revolution , The Nation , posted March 16, 2006 (April 3, 2006 issue).

http://www.thenation.com/article/three-who-made-revolution

 

 ・Woman Strikes for Peace

http://en.wikipedia.org/wiki/Women_Strike_for_Peace

 

 

 

 

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千葉県スズキから、基準値超え

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昨年NHKで、東京湾の海底土から、872ベクレル/kgの放射性セシウムが検出されるという、衝撃的な報告がされました。

 

 関東平野に降下した放射能が、雨によって河川から東京湾の海底にたまり、2014年にその数値は最も高くなるという、京都大学の研究が紹介されました。

 

 番組を見た多くの視聴者は、とても大きな不安を抱いています。環境省と、もんじゅを研究する文部科学省が、海域モニタリングを実施しています。東京湾では2012年に、海水6回、海底土3回、調査しています。ただし、問題の荒川河口は、二度だけです。文部科学省は、河口の流れから外れたポイントでしたが、6月が35ベクレル/kg、10月が75ベクレル/kgと2倍以上の数値が出ています。

 

 こうした中、今月14日に千葉県で水揚げされたスズキから、基準値を超える130ベクレル/kgが検出されました。しかも、これは銚子沖合10kmでとれたもので、日本一のスズキ漁獲量を誇る千葉県では、その90%が東京湾でとられるのです。

 

 気象庁気象研究所は、原発事故で大気中に放出された、放射性セシウムの総放出量は、約3~4京ベクレルと公表しました。そして約7割は、海へ落ちたと考えられています。それは、世界がはじめて経験する、大規模な海の放射能汚染です。

 

 福島県を中心に、漁協は「操業自粛」さらに「出荷停止」状態が続いています。しかし、海の汚染状況は、完全には把握できておらず、十分な測定がないと、私たちの不安は消えていません。

 

KAZE to HIKARI 13007

 

 

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気象庁の発表(朝日新聞デジタル) http://www.asahi.com/special/10005/TKY201202280824.html

 

 

●NHKスペシャル『シリーズ原発危機 知られざる放射能汚染~海からの緊急報告~』

 2012年1月15日放送のこの番組は、専門家チームによる、湖、河川、そして海洋、海底の調査で、放射性物質がどのようなメカニズムによって運ばれ、魚介類に濃縮され、私たちの暮らしを脅かしていくのか、迫ったものです。

 

 このなかで、特に私たちを驚かしたのは、江戸川と荒川の河口付近で高濃度の放射性セシウムが測定されたことです。特に荒川の河口付近では、最大で872ベクレル/kgベクレルが検出されました。これは、福島原発周辺の海底土の2000ベクレル/kg超えには至りませんが、そこからはるかに離れた東京湾内部が、これほどの数値がでるとは誰が予測したでしょうか。

 

 首都圏や関東平野に降下した放射性セシウムは、雨によって最終的に東京湾に流れ込み、泥とともに団子状態になって海底に沈む「凝集」が起こると報告されました。こうした結果、東京湾の汚染のピークは、2014年となり、以後、汚染は10年以上続くとだろうと番組では結論しています。

 

 NHK:http://www.nhk.or.jp/special/onair/120115.html                                                                             番組紹介ページ:http://urx.nu/3ljp 番組動画:http://nanohana.me/?p=11200

 

NHK「かぶん」ブログ 東京湾 2014年3月に4000ベクレルに
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/121482.html

 

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●文部科学省モニタリングの海底土

 2012年6月、10月、12月の3回行われています。6月には文部科学省、環境省の調査が行われました。NHKの2011年8月の調査では872ベクレル/kgあった、荒川の河口付近の海底土は環境省が440ベクレル/kg、文部科学省35ベクレル/kgという検出がでました。

 

これらの計測ポイントは、4kmあまりの範囲で別々に行われました。放射能は、計測ポイントで大きく数値が変わる特性があります。海流の流れを見ると、NHKと環境省は荒川からの水流を意識したポイントですが、文部科学省はその流れから外れています。その後、10月に文部科学省は同じポイントで測定したときは、75ベクレル/kgとなり、6月の2倍の数値が検出されています。しかし、12月の調査からは外されました。

 

 文部科学省、環境省モニタリング/海底土(2012年6月):http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/6000/5895/24/229_t_kaiteido_120803.pdf             文部科学省、環境省モニタリング/海底土(2012年10月16日):http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/7000/6487/24/229_2_1121.pdf                    文部科学省、環境省モニタリング/海底土(2012年12月22日):http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/7000/6658/24/229_t_so_0125.pdf


 

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●千葉水揚げのスズキから、基準値超のセシウムが

 スズキ(鱸) は、海岸近くや河川の、中層水域に生息する大型の肉食魚で、食用や釣りの対象魚として人気があります。

 

 生息域は、港湾部、川、磯や干潟、それぞれのエリアでの棲み分けが、かなり明確に行われています。もちろん途中で、エリアを一時的に変えたりする可能性はありますが、水温の変化に弱いために、大部分のスズキは、一生を最初に選んだエリアで過ごしていきます。(電話調査:水産庁 増殖推進部 漁場資源課 )

 

 千葉県は、日本一のスズキの漁獲高を誇り、うち90%は東京湾(浦安~富津までのエリア: 船橋、市川、習志野、千葉、木更津、君津、袖ヶ浦、富津、浦安)で水揚げされています。残りの10%は、銚子沖(銚子、旭、山武、九十九里町、大網白里町、横芝光町、一宮町、白子町)となります。(電話調査:千葉県 水産課)

 

 今回は、出荷制限のない銚子の沖合で、底引き網漁でとれたスズキから、国の基準の基準を上回る、130ベクレルの放射性セシウムが検出されました。千葉県で水揚げされた海の魚から、国の基準を超える放射性物質が検出されたのは初めてですが、去年12月に同じ海域でとれたスズキから1Kg当たり60ベクレルの放射性物質が検出されたことを受けて、銚子・九十九里の沖でとれたスズキの出荷はすでに自粛され、流通していないということです。これまでは、東京湾のスズキから国の基準を超える放射性物質は検出されていません。

 

 NHK首都圏のニュース(動画つき):                                                                              http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20130218/fdbe4491bc9eee38cc1f491749a1a615.html

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●「操業自粛」と「出荷停止」

 3.11事故後、福島県を中心に太平洋沿岸の漁協は、2011.3.11~2011.6.21 までは、「操業自粛」を余儀なくされました。それまでは公的な出荷制限等はありませんでしたが、2011.6.22 正式に「出荷停止」となり、現在も続いています。今年になっても、新たに出荷停止なる魚種もあり、海の汚染地図は、常に書き直さなければならず、放射性物質が海底に残っている限り、魚の汚染は続いています。

 

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