スリーマイル島の事故は、2億年に1回の確率だった

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2回にわたり、原子力発電所を推進する側の、原発は安全という『だます論理』を小出裕章先生に徹底批判していただきます。

 

日本では原子力発電所は絶対に事故を起こさない、と電力会社も国も言ってきたのです。だから、みなさんが「安全」だと思ってきたわけです。

 

しかし、どうやって国が「安全」というのを確認したかというと、「重大事故」と「仮想事故」と言うあらかじめパターンを決めた事故についてだけ評価することにしました。このように、初めに起こる事故のパターンを決めてしまうやり方を、『決定論的安全評価』といいます。実は、そこにインチキがあります。そこでは、どんなに原子炉が溶けてしまっても、それを閉じ込めている格納容器は絶対に壊れないという仮定があるからです。

 

そこで、格納容器というのはいついかなる時も安全なのかと問うと、その技術的な答えを彼ら自身示せなかった。だから仕方がなく、どのくらいの確率で格納容器が壊れるのか示すしかない、となりました。1975年、アメリカでラスムッセン報告がでます。ここで『確率論的安全評価』が登場します。

 

ところがこの理論に対して、想定した事故やその確率計算にもたくさんの批判が出ました。機械の故障は、個々では小さな確率かもしれないけれど、たとえば地震のようなものが起きると、すべてが同時に故障します。これを共通モード故障(Common mode failure)と言います。そのようなものは、この方法では評価のしようがない、という批判になったのです。

 

1979年1月に『確率論的安全評価』は使えないとNRCが言いました。そして、その2ヶ月後にスリーマイル島の事故が起きたのです。このレベル5の事故は、ラスムッセン報告では2億年に1回しか起きない確率だったのです。

 

■KAZE解説

インタビューでは、小出先生はとても丁寧に説明されています。ここでは、要点だけになっています。『確率論的安全評価』を批判的に理解することは、低線量問題のように、非常に重要だとお伝えします。

 

 

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音声: http://www.youtube.com/watch?v=MFZ1z9r9dp0

 

アメリカは「間違いだった」としたのに、日本は認めなかった 

高橋

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今日は「だます側」と「だまされた側」という視点を伏線としながら、原子力発電の問題をお伺いしたいと思います。「だます側」を突き詰めていくと、ひとつの理論体系に行きあたります。それは、確率論的安全評価であると分かりました。

 

小出先生

いま「だまされた」というお話が出ましたが、日本では原子力発電所は絶対に事故を起こさない、12.jpgと電力会社も国も言ってきたのです。だから、みなさんが「安全」だと思ってきたわけです。しかし、どうやって国が「安全」というのを確認したかというと、もし大きな事故が起きたならばどのような被害がでるかというのがあり、これを「災害評価」と言います。では、どのような事故を考えるかというと、「重大事故」とさらに重たい「仮想事故」があり、後者は前者を超えるような技術的には考えられないような事故を仮想して考えます、ということになっています。このように、初めに起こる事故のパターンを決めてしまうやり方を、『決定論的安全評価』といいます。

 

 

高橋

事故が起きていないのに、こういう事故が起きうると最初に決めてしまうことを『決定論的安全評価』というのですね。しかも、「仮想事故」にいたっては、本来は起きないだろうが、それを仮想して考えるということですか。

 

小出先生

そうです、すごいことに聞こえますが、実は、そこにインチキがあります。そこでは、どんなに原子炉が溶けてしまっても、それを閉じ込めている格納容器は絶対に壊れないという仮定があるからです。ですから、格納容器が健全だと放射能は外部に出てこない、だから住民は安全だと、はじめから答えが決まっていたのです。

 

 

高橋

では、審査すべき安全性が、審査する前に「壊れない」ということが前提になって議論が組み立てられているのですか。

 

25日③.jpg小出先生

そうです。では、格納容器というのはいついかなる時も安全なのかと問うと、その技術的な答えを彼ら自身示せなかった。そこで、彼らの逃げとしては、そんなことは隕石が落ちるくらいの確率だと言い出した。では、本当にそのような確率なのかと問うと、また彼らは答えられない。こうして『決定論的安全評価』には欠陥があるというのが明らかになります。1970年の頃ですから、もう40年も前のことですね。そこで、仕方がなくどのくらいの確率で格納容器が壊れるのか示すしかない、となりました。そのためにアメリカで1975年にラスムッセン報告がでます。ここで『確率論的安全評価』が登場します。

 

 

高橋

決定論ではだませない、だから『確率論的安全評価』が必要になったのですね。

 

小出先生

はい。その評価では、原子力発電所という機械のどこが壊れるだろうか、そこが壊れたらその事故はどのように進展していくだろうかという事故進展経路(Event Tree)を考え、それに関係する他の機械がさらに故障するあるいは失敗する確率(Fault Tree)をいろいろなところから引っ張ってきます。小さな故障は頻度が多く、大きな故障は確率が小さくなります。その確率を掛け合わせていくと、格納容器が破壊するのはやはり隕石が落ちるくらいの確率だと報告書はまとめました。

 

 

高橋

それは確率の計算ですから、たとえば0.1(10%)とか分数になるのですから、1よりも小さいものを掛け合わせていくと、どんどん小さくなりますね。0.1×0.1×0.1=0.001(0.1%)と。そんな感じで隕石の落下の可能性まで小さくなるという理解でいいですか。

 

小出先生

そうです。ところが、想定した事故やその確率計算にもたくさんの批判が出てきました。個別のところでは確かに0.1と0.1になるかもしれないけれど、たとえば地震のようなものが起きるとすべてが同時に故障します。それを共通モード故障(Common mode failure)と言います。そのようなものはほとんど、この方法では評価のしようがないという批判になります。

 

 

高橋

地震では、事故進展経路を直列的に故障の連鎖が起きるのではなく、一斉にすべてが壊れることがある、福島のことですね。

 

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NRC(米国原子力規制委員会)はこの報告書を検討する委員会をつくり、1979年1月にルイス報告を出します。そこでは「ラスムッセンはいい仕事をしたが、そこで出てきた確率の数値は使ってはいけない、まだ、まだ、学問ははじまったばかりで信用できるものではない」と結論を出しました。それ以降も日本の推進派は相変わらず『確率論的安全評価』のラスムッセン報告書にしがみついて、これでいいだろうと言ってきました。ところが、その間にも米国の中では「やはり、それは間違いだった」とちゃんと表明していたのです。

 

1979年1月に『確率論的安全評価』は使えないとNRCが言った。そして、その2ヶ月後にスリーマイル島の事故が起きました。この事故は、ラスムッセン報告では2億年に1回しか起きない確率だったのです。

 

 

 

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