だまされた

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あの時、私はヘルスケア双葉で避難誘導していました。3月12日夕刻、職員、警察官、自衛隊員、そして利用者のご老人があわただしく支度をしていた、その時です。にぶい低い爆発音が響き、作業の手がとまりました。みんな事態が理解できずにいると、わずかな間をおき、ぼたん雪のようのように細かい断熱材が空一面にぼろぼろ降ってきたのです。今でも鮮烈な記憶です。「なんだ、これは。もう、終わったのか、死ぬのか」とみんなが思ったものです。それでも私たちは半泣きで、避難に取り組むしかなかった。絶対安全と聞かされていた原子炉が、爆発したのです。

  

町民の避難ルートは、風向きを見て被ばくしないように配慮したのですが、南北を走る国道は地震で使えなかった。結果的には放射能を浴びてしまった。国が指示するというわけでもなく、多くの人はそれぞれ自分の判断で避難したのです。もちろん、SPEEDIの情報などありません。ひどいものです。

  

私は、子どもたちに安定ヨウ素剤を年齢制限して飲ませました。「町長、どうする」と聞かれ、「私が責任をとるので、飲ませろ」と指示しました。今でも副作用のことを考えると気が重いです。もちろん、国からも県からも、何も指示はありません。私たちは、放射性のヨウ素に完全に被ばくしています。

  

あの日から1年も経って、福島県からモニタリングポストの観測データが発表されました。爆発前すでに、羽鳥地区で毎時1.59ミリシーベルトもの高レベルの放射能が出ていたというのです。その頃、この地区には老人、乳児、子ども、妊婦も30人弱がいました。東電も県も、もちろん国も、何も私たちに知らせなかった。

  

人の言うことを信じてはいけない。

原発をつくるときも、事故が起こったあとも、だまされたのです。

  

■(KAZE補足)

枝野官房長官は3月11日夜の記者会見で以下のように述べた

「これは念のための避難指示でございます。放射能は現在、原子炉の外には漏れていません。今の時点では環境に危険は発生していません」 ベントは12日未明より操作できず14:30に実施、1号機爆発15:36

 

 

 

  井戸川氏(本文①).jpg

 

 

 

< 解説 >

住民の声

 「取り敢えず避難と着のみ着のままで家を後にし、避難先も車で移動中に防災無線で知った様な状態でした。ふだんなら1時間程の距離を6 時間以上かかって最初の避難所に到着しました」(双葉町)

 

「スピーディが公表されず、一番放射線の高い所に避難した事は、一生健康面で脅かされます。なぜ公表しなかったのか人の命を何と思っているのでしょうか」(浪江町)

 

「最初の避難の時に、しばらく戻れないとはっきり言ってほしかった。貴重品も持ち出せず、特に医療関係の書類等が無いため両親共に症状が悪化してしまった」(富岡町)

 

「発電所が水素爆発した事がわからず、何で避難するのか分からなかった。当時の所長がテレビで、あの時は死ぬかと思ったと言っていたが、そんな情報も住民に直ちに知らせるべきであると思う」(南相馬市)

 

下図は、国会事故調がおこなった双葉町住民に対するアンケート調査のグラフです。アンケート内容、調査方法、サンプル数などは確認できていません。

 

 

双葉町住民の情報と避難.jpg

 

 

 

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