「安全」なら、原発に賛成していいものか?

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事故は起きる前には偶然に見えます。しかし起きた後に、原因を詳しく調べると必然に見えます。それなら逆に「事故原因を究明できたら、事故は防げる」と言えますか。

 

ひとつの原子炉には、弁(バルブ)の数だけでも30,000個あります(火力4,000個)。ケーブルが2000km、ポンプ350台、熱交換器140基、配電盤700面。これらの定期検査には協力企業から毎日1,500人以上が参加し2月以上かかります。福島第一にはこれが6基ありました。

 

この巨大なシステムを完璧に保守管理することが、事故『内部原因』の排除となります。ところが、2000年からの10年間で、日本では180件の事故報告があり、その間、点検や事故などで原子炉(BWR)の稼働率はわずか62.7%でした。そんな危ないなら止めたらいいのに、と思うほどこの巨大システムは、計算通りには動かないのです。

 

何よりも深刻なのは地震やテロなどの『外部原因』です。福島の事故では津波の来る前、一部の「配管」がすでに地震で破壊していたという指摘があります。これが事実ならあのとき電源があったとしても、原子炉のなかで暴れている壮絶なエネルギーを押さえ込むことは、結局できなかったかもしれません。ひとつの原子炉の「配管」は総延長で約120km、総数で約5万本もあり、問題がある部分を改良しただけで事故は防げるのか、次回はどこが破壊するのか誰が予測できるでしょうか。

 

地震と原発の事故原因を突きつめると、巨大システム自体の脆弱性が浮き彫りになります。これじゃあ、使えない、すでに世界中が、原発事故の計り知れない恐ろしさを、「安全」なら賛成できる、という立ち位置は存在しません。お金のためなら、安全を無視する、という立ち位置はあります。

 

それでも、原因をつぶして、いつか「完璧な原発を作れる」とまだ言い張るのなら、その前に、今の原発はすべて廃棄して下さい。

 

 13024号

 

 

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< 解説① >

 なぜ、議論はかみ合わないのか、安全問題

 推進派も反対派も、安全については一定のメッセージを出しています。片方だけの意見を誰かが聞くと、なるほど、と思ってしまうでしょう。どちらもそれなりのデータを提示して、論理的な議論をしているからです。ひとつの体系の中では論理は帰着するからです。

  

図を見ていただくと、左側に事故原因となる階層があることが分かります。外部原因からはじまり内部原因に向かって事故は起きます。一般的な企業でしたら、なるべく事故の原因は個人の責任に帰着する「ヒューマンエラー」としたいところです。チャリノブイリの事故では、当初は運転ミスとされましたが、その後の調査で設計そのもの、あるいは安全意識に関わる国家や当該機関の意識、指示命令などに問題があったことが明るみに出てきました。

  

さて、日本における原発安全議論は、図の右側を見てわかるように、推進派と反対派で違う領域(体系)で議論しているのです。ですからお互いにかみ合っていません。むしろ、推進派は明らかにそれを意識してアナウンスします。そして、議論がぶつかる「設計・設計思想の欠陥」では『確率的安全評価』の手法を用いることで、あたかも計算が正しいような偽装をします。さらに、活断層などの問題では政治力やお金を使って事実をねじ曲げるのかもしれません。科学的な議論を期待したいです。

  

反対派が安全の議論をするとき、その根底にある「自然環境・災害」の分野で徹底的に闘うのが戦略的です。しかも、それは生活者にとってリアリティがあるからです。今回の福島原発事故は、すべて「1000年に1度の津波」というレアケースだからしようがない、ということで問題自体を無効化しようとしています。これは、闘争に関わる根幹です。地震によって、すでに一部は破壊されていた、という広瀬隆氏の理論闘争は、きわめて意味が大きいのです。また、このことを科学的に証明しようとするあらゆる試みは、支援する必要があると言えます。

 

 

 

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< 解説② >

 放射能のバリアと、バリアを守るもの

 原子力発電所の安全性にとって最も大事なことは、放射性物質を封じ込めることです。しかし、小さな原子炉(圧力容器)に閉じ込められた想像を絶するエネルギーも閉じ込める必要があります。この安全を守るために、第一に放射性物質を封じ込めるための複数の『バリア』と、第二にこの各々のバリアを守る機器があります。

  

工学的には、バリアそのものは多重性で安全性を高め、このバリアを守るものは、その機能別に、原則として二重とすることが要求されます。前者のバリアを「静的機器」と言い、これに対して後者を「動的機器」というようにバリアを守るものは、基本的には電気による動力を必要とします。ですから、今回のような全交流電源喪失のような時は、一部を除いてそのほとんどが稼動せず、バリアを守るものが機能しませんでした。

小出氏は「日本の安全審査では、きわめて大きな事故を仮定しているかのように見えるが、実はそうではない。そのからくりは、安全防護装置がいついかなる場合にも常に有効に働くと仮定することにある」と述べています。

  

原子力発電所は巨大プラントです。そしてそれは、世界中でさまざまな事故を起こし、その不完全さを露呈しています。しかも、この巨大で複雑なプラントを運用する組織や人間は世代を超えて、完全な安全を担保しなければなりませんが、それは不可能でしょう。一度このシステムが故障すると、事故の頻度や複雑さを議論するよりも、押さえ込まれていたエネルギーがいきなり解放され、機器や容器を破損し、壊滅的な大事故となることを、人類は何度も経験しているのです。そして、閉じ込められていた放射能が、巨大なエネルギーとともに、想像もつかない広範囲に乱舞するのです。

 

 

 

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