『ブロークドルフ』 ドイツ反核運動の象徴

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ドイツ北部、エルベ川の美しい風景がつづく小さな村に、白い巨大建造物が異様な光景として目に入ってきます。ドイツ反核運動のシンボルとも言われる、ブロークドルフ原子力発電所です。

 

ここでは1976年の建設開始以来、激しい抗議が繰り広げられ、建設中止と再開を繰り返しました。1986年のチェルノブイリ原発事故の後、世界で最初に営業運転をした原発でもあります。

 

長い論争と闘争のすえ2000年、中道左派連立与党が脱原子力法案を可決したものの、2010年秋、現メルケル政権が、稼動期間延期政策を強行しました。そこに、3.11福島原発の事故。同14日にドイツ全原発の点検指示がされました。

 

そして、25万人同時多発デモ、2度にわたる州選挙での現連立与党政党の敗北など、国民・世論の強い反原子力のうねりが、6月の、新たな脱原子力政策を成立させたと言って過言ではありません。

 

こうしてようやく2022年までに脱原子力になりましたが、最終処理場の問題が解決していませんし、いまだ原発も止ってはいません。そして、ブロークドルフ原子力発電所は2021年12月まで稼動する予定です。

 

37年間、抗議活動を続けてきた地元乳牛農家のレナーテさん、ウーべさんご夫妻は、「私たちは、いたって保守的な人間で、普通の平穏な日々を過ごしていました。あの時までは...」と、原発建設が始まった当時のことをふり返り、今でも、一刻も早い停止・廃炉を訴えて続けています。ドイツの闘いも、終わっていないのです。

 

13016号

 

 

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解説

気を許せない、ドイツの脱原発

 

日本は原発がなくても電気が足りることはよく知られています。しかし、ドイツは原発がないと電力が不足します。この不足分を補うために再生可能エネルギーへのシフトが、脱原発の鍵を握ります。

 

再生可能エネルギーは、この10年間増設し、ピーク時をまかなう電力kw(発電施設の最大出力)は、すでに全体の40%程度となり、原発を7%程度に押し下げています。

 

しかし、自然の影響を受けやすい再生可能エネルギーは、年間を通じた電力量kwh(発電施設から生まれた一定期間の量)は20%程度しか供給できず、原発が全体の20%弱を支える存在になっています。

 

この電力量の十分な供給課題を乗り越えることが、ドイツ脱原発の道なのです。現在、再生可能エネルギーへの国民の関心は高いのですが、電力料金の高騰を招いていることも事実です。そして、散在する太陽光、風力の電力を全国に送る送電網の施設も不足しています。ドイツ脱原発の闘いは、けっして気を許せないのです。このお話は、いずれあらためてします。

 

 

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ドキュメンタリー映画 『Das Ding am Deich』堤防に建つもの

(製作開始2010年1月、製作終了・2012年1月、公開・2012年8月)

 

1970年代初期、エルベ川沿いの小さな村の住民たちによって、原子力発電所建設プランが滞ることになります。それは、13年にも渡る、国全体を巻き込んだ、息も詰まるような大規模な抗議へと成長していきました。しかし、1986年、この原発は、チェルノブイリ原発事故後間もなく、営業運転を開始することとなります。

 

その後、村は静けさを取り戻し、ごく僅かな村の住民たちによってのみ、抗議活動は続けられました。彼らと、彼らの原発とともに暮らす日常に興味を抱いた監督は、この僻地にカメラを持ち込みます。一年をかけて、原発周辺で、当時の抗議活動の思い出や過去の映像を集める中で、誰も予想だにしなかった原発稼動期間延期政策が強行され、それから間もなく、日本の大地が動いたのでした。

 

<映画より、抗議活動を続ける住民の証言>

「もちろん事故が起こる可能性はあります。人間が作ったもので、壊れないものが、どこにありますか?

この場所を離れなければならないなんてことを想像するのは、本当に恐ろしいことです。でも、みんなそんな事は、知りたがりません。私ですら、以前のようではなくなっています。いつも自分用のヨード剤を冷蔵庫に入れてはいますが、以前は緊急用にいろいろ準備していました。あの頃は、私にとっては一番大事な猫を籠にいれること、雨ガッパとガイガーカウンターもいつも傍にありましたし、風の向きを確認し、どの方向に車で逃げるべきか判断できるように、いつも備えていました。

それが今では、そこまでの準備はできていません。人間という生き物は、何年もの間、そのような恐怖にさらされることを好まず、少しずつ、感覚が鈍るもののようです。」(カーステン・ヒンリヒセン、ブロークドルフ在住の気象学者)

 

「これは、ロシアン・ルーレットですよ。確率の問題ですからね。我々は、自分の頭を撃ちぬくまで、ロシアン・ルーレットを続けるのです。」(ヘルムート・ホイザー、ブロークドルフ在住の飛行機製造技師)

 

映画資料:

http://www.im-film.de/uploads/pics/DDAD3_Nachbereitungfinal.pdf

 

 

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 禁じられた大規模デモが、もたらしたもの

 

1981年2月28日にブロークドルフで起こった抗議デモは、ドイツの反核運動の歴史を塗りかえるものとなりました。

 

この小さな村に全国から10万人が集結し、警察官は例に見ない1万人が動員され、催涙ガス、放水車、金属性の棒などがもちいられた攻防により、抗議側・警察側合わせて数百人のけが人が出たうえ、逮捕者240人という、西ドイツ最大の反核デモとなったのです。

 

1986年に営業運転が始まったものの、大規模なデモや住民たちの抵抗に、意味がなかったわけではありません。ブロークドルフ原発は、建設予定から営業運転にまで、最も時間を要した原発です。

 

また、事前に行政から一方的に禁止令が出ていた1981年2月28日の大規模な抗議デモについても、その後社会問題に発展し、事前に届出をし、許可をとった非暴力な集会を行う権利が法令で認められるまでに至りました。("Das Versammlungsgesetzt")

  

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写真のソース:

http://www.aref.de/kalenderblatt/2011/09_kkw-brokdorf_demonstration_1981.php

 

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