女性たちへ

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原子力の黎明期1960年代初頭、アメリカはこの新しいテクノロジーに夢中でした。しかし、繰り返される核実験で目に見えない放射性物質が、しだいに身体におよぼす危険な影響がわかってきて、反核ムーヴメントが他ならぬアメリカで起こります。

 

じつは、世界最初の被ばく国は、日本ではなく米国だったのです。

 

子どもたちの命と未来のために、最初は中産階級の既婚女性たちが立ち上がり、女性から、女性へ、しだいに運動が拡大します。全米60都市、5万人が参加するデモが組織され、ついに1961年11月11日 「平和のための女性のストライキ」(Woman Strikes for Peace=WSP)が始まり、その後1972年頃まで女性の願いを世界にしめします。

 

ある日のホワイトハウス抗議行動、ひとりの女性が雨の中立ち尽くしている自分の行動を、こんな風に感じていました。

 

「ほんとに馬鹿みたいだし、なんてくだらないことをしているのか」

 

何年もたって、彼女は知るのです。雨にぬれた彼女らの姿を見て、その信念に心打たれたひとりの人物がいたことを。後に反核の中心的活動家となるベンジャミン・スポック博士(日本では育児書を記した小児科医として有名)にとって、女性たちのひたむきな姿がターニング・ポイントとなったのです。

 

そして1963年6月、ケネディー大統領は、アメリカン大学の卒業式で、ソ連、イギリスと核実験禁止条約について話し合うことを明らかにしました。その演説から一ヶ月後に条約は結ばれることになったのです。

 

お母さんたちの愛が、あの国を動かしたのです。

 

 

 

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(解説)

勝利、科学、豊かなアメリカと原子力 ―希望と自信にみちた1950年代

1882年アメリカのニューヨーク、人類初の発電所がエジソンによって建設されました。それまで『電気』は夢の魔法に過ぎなかったのが、夜道の街頭は燦々と照らされ、ロウソクやランタンで、ほの暗い灯りを囲む家庭の団らんには、新たなまぶしい光がもたらされました。

  

電気の登場で、技術・産業・経済、そして私たちの生活もすっかり様変わりし、人類は決して戻ることのできない、甘い誘惑のドアを開けてしまったのです。人は貪欲により多くの電気を求め、大量の石炭や石油を手にいれて火力発電を行い、困難をきわめる巨大ダム建設に挑み、水力発電を行いました。

  

エジソンから72年後の1951年、アメリカで人類初の原子力発電に成功します。広島に原爆が投下され、アメリカが勝利した6年後のことです『原子力』という、アメリカを勝利に導いた「未来的な魔法」が登場し、"Future"、"Science" という言葉は、"Atomic" とともに特別な輝きを持ち始めます。戦争での勝利、自由、戦後の豊かさ、そして燦然と輝く未来。アメリカがもっとも高揚したこの時代、その雲一つなく晴れわたる視界の向こうに、原子力があったのです。

  

戦争をくぐり抜けた若い世代は、田舎の両親と離れた都会の新しい産業に組み込まれ、安定した雇用と所得の拡大を手にします。ダウンタウンで恋に落ち、大型のクルマでドライブ、そして郊外の一戸建てに家庭を持つことが、一番おしゃれなトレンド、手に入れるべき "Future" となるのです。

  

家電の発明と普及は、核家族化の進んだ家庭を助けます。掃除機、洗濯機、冷蔵庫は、女性を「家事」から解放し、社会進出を大きく後押ししました。ラジオやテレビは、マス・コミュニケーションの発達を促し、レコードなどの新たな娯楽が普及し、エルビス・プレスリーなどのミュージシャンが登場します。また、ハリウッド映画の黄金期と呼ばれるのもこの時代で、長編の大作映画が次々に製作されました。

  

原子力発電は1970年代から本格的に電力に加算されるのですが、この時代は原子力による電気は "Future"、"Science" という「希望」の記号として役目を果たしていました。1951年からネバダ砂漠では、膨大な核実験が行われていました。放射性降下物の測定や建物・動物などへの影響を調べるため、人形を配置した核実験もあります。そして、豊かな都市生活を過ごす人々には、その原子雲は、明るく、美しく、輝いて見えていたのです。

  

当時、米国のメディアは「核実験が健康に害を及ぼす心配はありません」と報道していました。しかし、実験は必ず風向きを確認した上で、風は必ず西から東へと流れているときに実施されました。実験場の西側にある大都市を守るためです。

  

大都市で豊かな生活を謳歌していた人々は、そのことを知る由もありません。

 

 

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ジョン・F・ケネディー大統領と放射能

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祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません

あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい

  

アメリカ合衆国第35代大統領 J・F・ケネディーの就任演説の有名な言葉です。彼は、国民全員が「アクティブ・シティズン」である必要を、力強く語りました。そして、子どもの幸せと未来のために、放射能や核に反対するアメリカの母親たちのつよい気持ちは、国民の自立を訴えたケネディーその人の心に、しっかりと届き、アメリカという巨大な船の舵の方向性に影響を与えました。

  

ケネディーは1963年6月10日に、アメリカン大学の卒業式において『平和のための戦略 (The Strategy of Peace) 』という演説を行ないます。

  

「骨がガンになり、血液が白血病にかかり、肺ガンになる、そういう子どもたちや孫たちの数は、統計的には、自然におこる健康障害とくらべて少ないように見えるかもしれません。しかし、これは、自然の健康障害ではないし、統計学の問題でもありません。たった一人の子どもの命が失われることであっても、あるいは、私たちがこの世を去ったあとに生まれる、たった一人の子どもの先天性異常であろうとも、それは、私たち全員が、胸を痛めるべきことなのです。私たちの子どもたち、孫たちは、私たちには関心がうすい単なる統計的な数字の問題ではありません。」

  

大統領の演説は、ノーカットでソ連の新聞やラジオで伝えられ、1963年7月25日米英ソの間で、部分的核実験禁止条約 (PTBT) が締結されました。

 

そして、この感動的な演説の5ヶ月後の1963年11月22日。ケネディーは、テキサス州ダラスで、謎の暗殺によって、その46歳の生涯を閉じます。在任期間は、わずか2年10ヶ月。悲劇の大統領として、その名を後世に残したのです。

 

 

・ J・F・ケネディー大統領演説 映像と原文はこちらから(約26分の演説。上記の抜粋部分は12分40秒〜)。 

 1963年6月10日アメリカン大学の卒業式にて。

『平和のための戦略 (The Strategy of Peace ) 』

Address to the Nation on the Nuclear Test Ban Treaty, 26 July 1963

 

http://www.jfklibrary.org/Asset-Viewer/ZNOo49DpRUa-kMetjWmSyg.aspx

 

 

 

【その他参考文献】

The Best of Tomdispatch: Rebecca Solnit

Posted by Rebecca Solnit at 10:12am, June 14, 2005.
Follow TomDispatch on Twitter @TomDispatch.

http://www.tomdispatch.com/blog/3273/the_best_of_tomdispatch%3A_rebecca_solnit

 

・「レベッカ・ソルニット、希望を語る」(日本語訳サイト)

http://besobernow.blogspot.jp/2012/04/blog-post_09.html

 

Rebecca Solnit, Three Who Made a Revolution , The Nation , posted March 16, 2006 (April 3, 2006 issue).

http://www.thenation.com/article/three-who-made-revolution

 

 ・Woman Strikes for Peace

http://en.wikipedia.org/wiki/Women_Strike_for_Peace

 

 

 

 

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